Vol.11
着物とジュエリーの
日本史、楽しみ方のはなし
日本の宝飾の歴史は浅く、宝飾史の専門家 山口遼先生によると国家としてかなり長い歴史を文明に持ちながらも全く普通の宝飾品を使用しなかった民族。
大げさにいえば、人類史上極め付きの例外とまで言われています。
それでも祖先が全く装身具の歴史を持たなかったわけではありません。
縄文、弥生、古墳時代と呼ばれる六世紀頃までに発見された遺品を見ると、数多くの装身具が用いられていたことがわかります。
しかしそれに続く飛鳥、奈良時代から千年以上にわたり江戸幕末期にいたるまで、普通の意味での装身具が影を潜めており、簪を含む櫛、こうがい、さらには武具や刀といった実用品を極度に装飾的なものに変えていくといった世界でも例を見ない現象です。
その理由の一つとして着物そのものが美しすぎて装飾品を必要としなかったという説があります。
また、着物の構造と髪型が物理的に装飾品を用い難い、はたまた日本人の美意識として見せびらかすような顕在的な美を嫌ったとする説から他国とは違う装飾品の歴史が生まれたのではないかと言われています。
出土した埴輪などの女性像は耳飾、首飾り、ブレスレットに腰にはブローチさらにアンクレットまで左右に身に着けていることが伺えます。
それが飛鳥かから奈良時代になると忽然と姿を消します。この時代から明治維新まで祖先は宝石や貴金属を用いて身体や衣服を飾ることをほとんどしなかった。
これを知ると着物の装飾性の高さを垣間見る気がします。
宝飾品がないからといって日本から金工技術が消滅したわけではなく、技術としてはきわめて高い水準の鋳金、彫金、鍛金と呼ばれる技法は諸外国と違い宝飾品以外の分野で残っています。
それは仏教美術や武器・武具、茶道具や印籠・根付といったもの。
こちらは四分一や赤銅、木目金といった手法です。
女性用としては櫛やこうがい、簪などの頭部の装飾品です。
こちらは象牙、べっ甲や牛爪をベースに象嵌や漆、螺鈿が施されています。
確かに着物を着る際につけることができる装飾品は限られています。
そもそもジュエリーは爪留めが多いので爪で着物の繊維を引っ掛けてしまうことも懸念されます。
現在は着物を着る機会は冠婚葬祭、はたまたお茶席といったイメージがありますが、お茶席では焼き物を扱うために貴金属はNGとされています。
帯止めですが、調べると面白い史実がありました。
そもそもは帯締めに装飾品をつけるのが現代。
基を辿ると帯締めの両端に金具を取り付帯がほどけないようにする為の「帯の固定金具」であったそうです。
紐を通すのではなく、今もある装飾ベルトのようなパチン式と呼ばれる「紐の両端に表金具と裏金具を取り付け、合わせて引っ掛ける構造」だったそうです。
しかも男性が用い、老女が使い、そして女性へ広まったとのこと。
帯止めというものよりも芸者たちが客の男性の持ち物である刀装具や、煙草入れなどを「契りの証しとして」帯留に作り替えたり、廃刀令が出た時は不要な刀の装身具を加工したりしたそうです。
帯止め自体は装身具では無かったという面白い事実。
現代はベルトを帯締め代わりに利用するという記事もありまして、新しいのではなく原点回帰といえます。
昨今の着物ブームから正装や礼装以外で普段着やお洒落着としての着方が流行っています。
大ぶりの耳飾をしてみたり、ブレスレットを羽織紐として使用してみたりと楽しみ方も様々です。
大正ロマン、竹久夢二の絵からも着物に長いパールのネックレスをしたものもあります。
ありえないと思ったり、新しいと思ってしてみたコーディネートも昔は当たり前だったりする史実があると面白いですね。
TPOを理解した上であれば、着物とジュエリーのコーディネートはどこまでも広がって楽しめるものだといえます。